EYEVAN

 

EYEVAN × KYOTO interview 02

 
「人が、宝ですね」
小丸屋住井 10代目 住井啓子さん(創業1624年/京都市左京区)
京都の夏の風物詩でもある「京丸うちわ」。夏になると京都の花街では、このうちわが壁一面、華やかに飾られ、夏の訪れを感じる。小丸屋住井のうちわは一つひとつが手作業で作られており、うちわの骨の線を引く工程でさえも、職人の手によって生み出されている。文化を守るために、先を見据える小丸屋住井の10代目住井啓子さんにお話を伺いました。
京丸うちわについて
うちわだけは、守りたい
私たちのルーツを辿ると、1624年に創業し、当時の帝により「伏見深草の真竹を使った団扇作り」を命じられたことがはじまりとされています。江戸時代には、うちわや扇子などの文化が開花し、この“深草うちわ”が全国的に名を馳せ、参勤交代で伏見を訪れた人たちにうちわ作りを伝授し、その技術が各地で受け継がれていったとされています。 だからと言って、うちわの制作と販売だけではないんです。昔からずっとうちの父が「うちわだけは、守らんと」と言っていました。実際のところ、小丸屋住井としての商いの割合は、舞台小道具が6割なんです。6割が舞台小道具、3割が舞台用の扇子、1割が京丸うちわ。“京丸うちわ”というのは芸舞妓さんの名前入りのうちわのことです。京都の花街では、夏の挨拶に芸妓さんや舞妓さんがお得意先へ自分の名入りのうちわを配る風習があります。小丸屋住井では、代々、京丸うちわを作り、花街の文化を支えています。
 
人が人を連れてくる
先代のうちわを手にした方の、子孫にあたる人が「我が家の家宝なんです」と小丸屋住井のうちわを持ってきてくれたことがありました。今、私で10代目ですが、昔の先代が作ったものや資料が手元に一切なく、自分たちのところには何も残っていなくて、すごく嬉しかった。やっぱり「人」が宝ですね。お客さんが、またお客さんを連れてきてくれるんです。揺るがない顧客を大事にすることを守っています。
 
生むモノがものを言う
手仕事って心をいれるから、「生むモノがものを言う」って私は思います。なので営業して仕事を引っ張ってくるというのはしません。お店に来てくれたお客さんが悩んでいることを「解決してあげたい!」といつも思う。できることやったら、何とかしたいね。変な欲を出したりするのもよくない。人のためが、結果、自分に返ってくるんです。マニュアルじゃない、心を入れないとだめですね。
 
継承について
積み重なることによって、小丸屋の色になっていく
うちわの形・雰囲気・骨並び、良いものを作り続けていくために、次の作り手にきちんと教えないといけない。それが、文化を、京丸うちわを守ること、残すことにつながりますね。うちわは分業制で作るので、それぞれの工程の職人さんを喜ばせたい。作る職人たちとの関係性を長く築き、失敗が積み重なることで「小丸屋の色」になっていく。あとは作ったものを、どれだけたくさんの人の手にとってもらうことを増やすかです。
 
伝統について
新しい文化が今、生まれる時
京都の帝はおもしろい「文化」をたくさんお持ちだった。おかげで京都にうちわの文化が入ってきたんです。現代では、お中元にうちわが贈答されるようにもなって、新しい文化が今、生まれる時なんです。
 
譲れないこと
この字だからこそ、京丸うちわ
私はやっぱり、品質。品質もデザインの内だと思っています。小丸屋住井のうちわの字は書家だとしても、なかなか書きづらいんです。そして、一見、嫌だと感じることがあっても引かない。ピンチの時こそ、どのように対応するかによって、チャンスになると思っています。そしたらきっと、小丸屋住井の応援団になってくれる人が現れると思っています。