EYEVAN

 


 

EYEVAN × KYOTO
interview 10

「象嵌と、できること」
中嶋象嵌3 代目 中嶋龍司さん(創業1950 年/ 京都市右京区)
象嵌の技術はシルクロードを渡って日本に伝わってきたと言われている。そこから日本の職人ならではの感性で変化を遂げてきた。龍司さんは19 歳で、祖父に弟子入り。技術を受け継ぐだけではなく、象嵌の可能性を広げるアイデアやこだわりが詰まった作品づくりに挑戦されている。
中嶋象嵌 3 代目 中嶋龍司さんに、制作工程などあまり知られていない象嵌についてお話を伺いました。
象嵌について
金銀を「かたどり」、「はめる」
象嵌の象は「かたどる」、嵌は「はめる」と言う意味で、一つの素材に異質の素材を嵌め込む技法です。
象嵌が日本で栄えたのは江戸時代。武士の刀の鍔とか、宗教的な道具に施されてきました。自分たちの地位の象徴という意味もあったと思います。
京象嵌は「布目象嵌」と言われるもので、工程として最も大切なのが、鉄の生地にタガネで縦横に細か い溝を彫る「布目切り」の作業。1 ㎜四方に7 ~ 8 本の細かい溝を彫ります。この微細な溝が布の織り目のように見えることから、「布目」象嵌と言われています。この溝に、直径1 ㎜以下の金や銀の模様をはめるように打ち込んでいきます。生地に布目が彫ってあるから、どんなに細かな柄でも入れることが出来るんです。

あたらしい象嵌
お客さんの声から生まれた、あたらしい象嵌のかたちもあります。黒地に金や銀の柄が入っていることが多い象嵌は、結構地味じゃないですか。それをある時、「もっと華やかなものはできないのか」とお客さんに指摘されたことがありました。 そこで、柄が入っていない部分を糸鋸でくり抜き、透かしを施したアクセサリーを作りました。ところが、これを作った時、先代である祖父に「そんな手間をかけて作ってどうするのか」と怒られました。それで僕は先代にバレないよう、夜にコソコソ作ったりして…。ありがたいことに、その作品はお嫁に行ってくれて、徐々に先代も認めてくれるようになりました。今は良いものを作らないと見向きもされない時代なので、これからも模索を続けていきたいです。

伝統について
ええものやから、残したい
伝統工芸って何百年とか歴史があるものばっかりだと思うんですけど、それだけ続いてきたということは、ええものやからだと思うんです。だからこそ、どんなものでも失くしたらもったいない。
象嵌も、どんな風に作られるか、知らない人がほとんどですよね。僕たちは何十年も前から象嵌の実演販売やこどもから大人に向けてのワークショップに力を入れているのは、伝統工芸、そして象嵌を知ってもらうため。自分たちができることを、まずやろうと思っています。
譲れないこと
自分が美しいと思えるように
譲れないことは仕上がりの綺麗さ。見極めは自分が綺麗にできたって思うところ。例えば、柄の背景にもなっている小さな点。これは針金状の金を一粒一粒打ち込んでいるんですけど、これをレンガ状に、互い違いに、同じ長さで、綺麗に並べるようにしています。細かい話なんですけど、小さなことが作品の雰囲気を大きく変えるんです。 誰に教えられたから、というのではなく、自分はこうやって並んである方が美しいと思ったからそうしています。
継承について
先代の偉大さ
こどもの頃は、寡黙な先代が正直少し苦手でした。実際に継いで、感じることは、先代の技術の高さ。例えば香炉のような丸いものに象嵌を施すのはすごく技術がいることなんです。平らなものでないと布目を切るのも難しい。今は僕にも小学生の息子がいて、学校の帰りに、ここに寄るので僕の仕事をよく見ています。息子に継承するかどうかはまだはっきりわからないですが、息子がやりたいと思う時にやれるように、自分が今、頑張ってたいとは思います。