EYEVAN

SABAE, FUKUI

福井県・鯖江の歴史と革新が息づいている。
SABAE, FUKUI: THE CITY OF CRAFTS MAN SHIP
およそ100年前より積み重ねられてきた、メガネを作るという営み。
北陸によくある雪深い農村のひとつに過ぎなかったこの街は、
やがて世界にも類を見ない、熟達し更新されつづける技術の集積する土地となった。
メガネの街、福井県・鯖江。EYEVANの品質を支える職人たちがここにいる。
福井県鯖江市。今や世界がその名を知るメガネの街。メイド・イン・サバエ。このひと言さえあれば、品質は間違いなくギャランティされる。ナポリのドレスシャツ、ノーザンプトンの革靴、アイラ島のモルトウイスキーのように、その場所と製品が分かちがたく結びついている。歴史、風土、伝統、職人、慣習、革新、矜持。たやすく手に入れることのできない、人手と手間と時間が、街のいたるところに折り重なり、それらが注ぎ込まれたものを作っている。名産地とはつまりそういうことだ。EYEVANのメガネも、もちろんこの街のどこかで作り出される。かつて、1972年にVANの石津謙介氏とともに“着るメガネ”と掲げた設立当初の製品もそうだったし、85年にアメリカでオリバーピープルズに見出されたのも、そして2018年に再スタートした6 型のカプセルコレクションもすべてそうだ。ぐるっと山々に囲まれた、南北に細長いこの鯖江の街の産。つまり品質に申し分なし。そう言い切るだけの背景がある。
「どのくらい滑らかになればいいか、数値の目標なんてありません。
ちゃんとキレイになっているか。ちゃんとまっすぐ光っているか。
それだけです。」
数台の研磨機が音を立てる小さな工場を訪れた。そのほかに聞こえるのは、年季の入ったスピーカーから流れるローカルラジオくらい。ここに持ち込まれる、さまざまなメーカーやブランドの金属パーツを黙々と磨く職人は、自身の仕事についてこう話す。過分に熱くも、冷めてもいなく、淡々と、今日の空模様を話すような具合。鯖江市内にいくつかある磨き専門の工場は、みんなだいたいそうだろうとも。ちょっと不思議ではある。
現代の日本のメガネに使われる金属パーツは、剛性と軽量性に秀でたチタン合金が主流。加工や研磨が難しく、わずかな磨き残しやバリも、メッキ剥がれの原因となる。メタルフレームの製品にとって、それは致命的な欠陥だ。なのに、クオリティを担保するための数値がない。「ちゃんと光っている」という職人の平熱の感覚に委ねられている。しかし、そこにこそ職人の街という鯖江の横顔も表れる。数字なんかよりも手触りや光り方。あるいは、その後に加工されるメッキの美しい仕上がりを御覧じるべし。熟達した技術と感覚に、品質への裁量が委ねられているのだ。何万ロットという大資本を背景にした大量生産品ではこうもいかないが、職人の手を介して作られる工芸品なら、鯖江のメガネなら、数値よりも感覚が合理性と結びつくのだ。
「そのメガネを美しく作るのに必要だと判断すれば、
新しい技術を考えるし、新しい加工機械も開発します」
鯖江市内でも屈指の規模を誇るメタルフレームの工場がある。ここでは設計から金型作り、パーツの切り出し、磨き、プレス、溶接、ロウ付け、組み立てまで、メッキ加工以外のほとんどすべての工程を一貫して行っている。従業員は年齢も性別もまちまちの約80 名。みなそれぞれが、未経験で入社し、いずれどこかの工程のスペシャリストとなる。そして、どれほど複雑で繊細な設計であっても、メガネであれば、ここで作り、組み立てることができると断言できる。日産1000枚。いずれも品質と美しさを売りにする、国内外の数多くのメーカーやブランドのメガネだ。EYEVANもそのひとつである。
1931年の創業以来、たゆまず進化を遂げてきた、技術と生産ラインこそがそれを可能にしている。前掲の「新しい加工機械の開発」もその一例だ。最新のものは、「カシメを入れるための機械」であるとか。蝶番を固定するために打たれる鋲を、従来ではただ打ち込んでいたのを、ねじ込むようにしたという。その仕上がりの差は、伝えられてようやく気づくほどわずか。常人ではたどり着けない美しさのために機械を作る。職人の街の工場でなければ、届かぬ境地だ。
職人たちの作業場や仕事道具は、どれもみな使い込まれ年季が入っている。なかには三十代の職人もいるが、それでもキャリアは20年近く。経験だけでは十分ではないが、仕事の糧にはなる。
「デザインは平面図。その余白を頭の中で埋めて、曲線を想像して、立体にするのが仕事です。経験が必要?そうかもしれません。
17歳からメガネをやっているので」
メガネはいかにして作られるか。紙に描かれたデザインがもとになるのはわかる。ベースとなるのは上からと前から、そして左右からの図面。では斜めからはどうか。前からの曲線は左右へどうつながっていくか。実はデザインを描いた本人ですら、明確にわかっていないことも多い。あるいは、前と左右がうまくつながっていかないことすらある。つまり、設計上の空白を埋めなければ、金型を作ることもできない。だから、この小さな工房がある。デザインをもとにプロトタイプを作る職人がここにいる。EYEVANの形もここで定められた。
素材となるのは試作用の柔らかい金属板。パーツを切り出し、指先で曲げながら、図面にある形とない形を想像でつなげていく。必要があれば、図面上で三次元にカーブするパーツを、頭の中で平面に展開してから切り出すこともある。立体のメガネとしての佇まいは、はっきり言って、ここで決まる。手がける職人によって、印象ががらりと変わるというから恐ろしい。洋装の世界でいえばパタンナー。知識、経験、技術、感性が問われる。その重責をひとりで担う。35歳と聞くと若く感じるかもしれないが、20年近く培った「メガネをやっている」経験がある。地金は鍛えられている。
研磨の仕上げ(ガラ磨き)など機械化された工程も多いが、ブリッジや蝶番の組み立てなど、細かな作業はやはり手作業になる。メガネが工芸品たるゆえん。
およそ100年前に、増永五左衛門によって大阪よりもたらされた鯖江のメガネ作り。農閑期の副業としてスタートしながら、独自の工夫と研鑽を積んで今がある。高い技術と豊かな背景とたくさんの職人たちが集積する街となっているのは、おわかりいただけたはずだ。EYEVANという、ひときわ繊細でときに複雑な仕事を求められるメガネには、そのほかにもメッキ加工の職人や、文様を手彫りで入れる彫金の職人(現在ではただひとりになってしまったという)など、さまざまな技術や手仕事が宿っている。まるで鯖江の街そのもののような、というのは言い過ぎだろうか。少なくとも、その歴史を受け継ぎ、さらに更新するメガネであるとはいえるはずなのだが。
組み立て工場には大小さまざまな機械が並ぶ。パーツの受け渡しなど移動が多いため、基本的に作業は立って行うのだとか。腰を据えて仕事をする専門の職人とは対照的だ。
バリを落としたテンプル。ちゃんと光るのはもう少し先。
組み立てが進みメガネの形になってからも、検品を経て出荷されるまでに、さらにいくつかの工程がある。
クオリティを維持するために、どれも欠かすことができない。
EYEVANのメガネ。鯖江だからこそ作ることができた。